拝啓、社畜の君へ
こんにちはヒカルです。
いままで、お前ら(ブロガーや著名人)
「君の名は。」について、熱く語りすぎ
きもすぎ、死ね。まじでうるせえよ。
映画評論厨が、ほんとうにうるせえんだわ。
今日もまた「君の名は。」について語ってるブログがあるから
いい加減、こいつら駆逐してやろうと思った。
がしかし!!!
ようやっと、しっくりくる内容に俺は、たどり着いたわ。
ネタバレ含んでるから見たやつだけこの先みとけ!!
だがこの作品、見終わってからずっともやもやしていた事がある。たぶんみんなも同じ思いをあるシーンで感じていたんじゃないかという風に考えている。そしてそれを考えれば考える程、ひょっとして新海誠はこの作品を本当に作りたかった形で作れなかったのかもしれないという思いが段々とでてきた。以下ものすごいネタバレ含む考察なので、繰り返しになるけどまだ映画をみていない人は絶対に絶対に映画館にいってから読んで欲しい。たぶんこれを読んでから映画を見ちゃうと面白さが半減するだろうから。
問題のシーンは主人公である瀧くんが三葉の口噛み酒を飲んで、彗星が落下する災害から糸森町の住民を救出しようするシーンだ。瀧くんは三葉の体を借り、仲間の力も合わせて何とか住民を彗星による災害から救おうと奮闘するものの、どうにもこうにも上手く行かずに失敗してしまう。土建屋の息子は父親に犯行がばれ、放送部の女の子は放送室からつまみ出され、瀧くんの演じる三葉は父親を説得できない。
結局3人の努力はむなしく糸森町の人達は全く安全地帯に避難する事はかなわず、再度、彗星の被害にあってしまう。少なくとも劇中ではそういう風に描かれている。だけど、次のシーンでは一転して「町長の類まれなる統率力で何とか住民は全員助かりました」と出てくる。
この映画は全体的に物凄く丁寧に作りこまれているのに、このシーンは物凄く違和感がある。当然というか、もっとスッキリとした形でも映画は作れたはずなのに。なのに新海誠はこの映画でこのシーンを使用する事を採択した。それならばこのシーンにも当然必然性があるはずだ?なんだろう?僕は実は本当だったらこの後、もう一回ループがあったのではないかと予想している。・・・・続きは以下リンクにて
高須賀さん (id:kounotori0305)
ありがとうございます。
マジで良記事でした。スッキリしました!!
改めて、ありがとうございました
〜〜ヒカルのいいたい事〜〜
【お前は、誰だ!!】
こちらからは以上です!